おかげさま
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瀬戸内海の移り変わり③


* コープこうべさん発行

「兵庫の海〜漁業と環境、そしてくらし〜」冊子を元に、他参考文献から、まとめてみますね。(コープさんの冊子、よく出来ていました☆)


🔹1960年代〜1970年代🔹

高度経済成長期・公害問題

人口集中による生活排水や、重工業の発展による産業排水によって、水質の汚濁・悪化が進み
瀬戸内海の海底には、ヘドロが堆積され
油くさい魚等が、獲れるようになりました。

1972年(44年前)
播磨灘では、赤潮が発生して養殖ハマチ1400万尾が斃死(へいし)し、「死の海」の危機に直面しました。

播磨臨海工業地帯



砂浜・干潟・浅場・藻場の消失

同時期に、工業用地の埋め立てが急速にすすみ、自然海岸線の6割が消失し、直立護岸に。

干潟や浅場、藻場が失われることで、産卵場や稚魚の育成場が減少し、栄養塩を貯えることが、難しくなりました。
砂浜の消失により、クラゲの増殖を抑える等、本来砂浜の持っている機能も低下しています。


直立護岸


🔹1970年代〜1990年代🔹

規制が果たした役割

きれいな海を取り戻そうと・・・

1973年『瀬戸内海環境保全臨時措置法』を、議員立法で制定。

1978年には、環境保全対策がはじまりました。

排水処理設備の整備や下水道の普及、排水規制や総量規制等により、1980年以降、水質は大きく改善しました。


加古川下流浄化センター


🔹2000年代〜現代🔹

さらなる規制で『豊かな海』へ?

窒素・リンが総量規制の対象に

2001年からは、プランクトンの増殖を抑制するために、窒素・リンの規制の対象になりました。

窒素やリンは、海の生態系を支えるために大切な役割を果たしていますが

赤潮発生の最大の原因として、2006年からも、規制対象とされ、限りなく削減されることになりました。

海の様子がおかしい

漁船漁業では、1990年代にはいると
漁獲量が減少してきました。
その原因が「獲りすぎではないか」と考えた漁業者は、資源管理や稚魚・二枚貝の放流などをすすめてきましたが、漁獲量は最盛期から、半減しました。

また、ダムや堰が増えるにつれて、砂がせき止められ、海底の岩盤がむき出しになっているところもあり、砂にもぐれない二枚貝は、生息できなくなっています。

ひどい所では、カレイやアナゴの底漁なども、いなくなってしまいました。


水質がよくなった ことと、海が豊かになったことは、全く違います。


加古川大堰

加古川水系、呑吐(どんど)ダム


1960年代から、現在に至る
瀬戸内海、約50年の移り変わりを、ざっくりと書いてみましたが・・・


一旦、汚くなった海を→→→きれいな海へと

瀬戸内海の人々の叡智を使ってくださいましたが

きれいになっても、魚が育ってくれない現実に


きれいな海→→→→豊かな海へと

現在、叡智を使って下さっています。


さて、豊かな海とは・・・

これから、みんなで考え、実現してゆきたい課題ですね。

埋め立て沿岸93パーセントの播磨地域に残る

新舞子浜です。

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