おかげさま
古民家カフェ おかげさま 加古川市八幡町野村字三家556-2 tel:079-438-3024

Xmasイブの日、悲しみは突然に

昨年の年末
それも、Xmasイブの朝

おかげのある小さな村では、みんなが、悲しみに包まれた日となりました。

私の3つ上の村の男の先輩が事故死。


その幼馴染の男のY先輩が、今朝来店され
葬い話となりました。

Y先輩は、気持ちの整理が少しずつついて来た頃に、自分がお持ちのメーリングリストへ、亡くなった幼馴染の供養とし、書き記すことを決めたのだと言いました。

そして、その内容を、私にも送ってくれました。

命あるものは、いつか、サヨナラをしなくちゃならないですが

私は、先輩に出会えたことに、大感謝して

Y先輩がくれた想いの詰まった文章を、今日は
私の大切なブログを見てくださる方々へ、シェアしたいと思います。
長文ですが、よかったらお読みください。

・・・

昨年、といってもまだ数日しかたっていませんが、
12月24日のクリスマス・イブの朝、私の心に一生忘れる事のできない出来事がおきました。

私が、その第一報を聞いたのは、近所に住む幼なじみの同級生Sからの携帯電話でした。
「あるところから連絡があったんやけど、Mくん(同じく近所に住む同級生)が、朝、バイクの通勤途中で事故に遭ったそうやわ!事故の状況、結構ひどいらしくて、病院に搬送されたらしい!」と。
私は「えー!!」と大きな声が出てしまって、体は寒気がしました。
詳細な情報がわからないまま、同級生Sと、とりあえず病院に向かうこととなり、すぐ電車に乗りました。

地元の駅につくまでの約1時間の間、私と彼が近所の同級生だと知る人達から、電話やメールが入り、それでも情報が錯綜していました。
私は「どうか無事で、どうか無事で」と祈っていました。
そんな中、神戸新聞のWEBニュースに出ているとの情報が入ったのです。
恐る恐るそのサイトを検索し、私は、愕然としました。
普段、同じ内容、同じ文章を目にしてもそれほどの気持ちにならないでしょう。
文章は、淡々と簡潔に事実であろう事を記していました。
そこには見慣れた名前、同い年の年齢、そして事故の状況と「死亡した」の文字が...
体から力が抜けたようになり、振るえが止まりませんでした...。

受け入れがたい事実で、頭が真っ白になり、それでもまだ、「何かの間違い」であって欲しいと思っていました。
地元に戻り、同級生Sと共に、Mくんの自宅にいきました。

ご家族の方全員がおられ、お父さんとMくんの弟さんが話をしてくれました。

その朝、彼は、中学3年生の娘さんが作ってくれたお弁当を持って、
いつものように、元気良く「行ってきます!」と言って出掛けました。
奥さんも、いつものように「行ってらっしゃい!」と見送り、彼はスクータバイクで出ていったそうです。
その途中、路側帯に停車していた2トントラックを避け切れず、接触事故となったようです。
その事故が不運としかいいようがなく、もちろんヘルメットも被っていたにもかかわらず頭を強打し、病院に運ばれる間も無く心肺停止となったということです。
医者は、その状況からすると、本人は痛さも苦しさも感じないまま逝ってしまったのかもしれないと言われていあたそうです。
そんな話を気丈夫に涙も見せずに語る、80歳前のお父さんは、
「これまで生きてきた中で一番辛い出来事や。本人には言えて無かったけど、これからは何かと頼っていきたいと思ってた。親より先に逝ってしまう、これほど辛い事は無い...。」と。

私とその2人は、幼少時代からずっと一緒で、田舎の長男(跡取り)として生まれ、保育園、小学校のころは、近所の山や神社や田んぼを走りまわって遊び、
高校、大学、専門学校と別々となったけど、それぞれ結婚し、家を建てて、子供も成長し、つい最近の秋祭りでも、彼は担ぎ屋台の中心的先導役として大活躍していました。
そんな同級生3人を見て、周りからも「50歳3人トリオ、まだまだ若いなぁ」などと言われ、
その通り、これからは、我々世代が、町内・地域をまとめ役、担い手としてやっていかないとと話していました。
しかも彼は、仕事が加古川市の福祉関係の職員をしていて、役所・学校・病院・老後施設などと関係が深く、プロジェクトリーダーを務め、
地域の消防団にもボランティアとして参加し、そこでの立場も「部長」だったそうです。
その地域の係わり、貢献度合いがわかったのが、12/26の通夜でした。
ご家族は、200人〜300人くらいの参列かと予定してたのが、弔問に訪れた人数は約900人だったそうです。本当に彼の人徳といえるでしょうし、これがこれまでの彼の「人生の通信簿」だといえるでしょう。

翌日の告別式も多くの方が参列され、喪主は奥さんで、その横には、大学2回生の長女、大学1回生の長男、中3の次女と、両親、彼の弟、妹と並んでいました。
子供達は、彼の意思をしっかりと受け継ぎ、立派に成長していて、時折涙を見せながら、でもしっかりと参列された方々にお辞儀をして対応していました。
何より、奥さんは、正直気がおかしくなっても仕方が無い状況で、ほとんど涙をこらえて、気丈夫に2日間の喪主の挨拶をされていました。
それがまた逆に私には痛々しく、残念で、悲しくて、涙が止まりませんでした。

私と彼は、親同士がいとこという関係でもあるので、私は斎場に骨上げ(収骨)にもいかせてもらいました。
彼は、数日前まで、ごくごく普通に、健康的に暮らし、仕事をしたのです。棺に横たわっていた顔も事故の影響で、いつもの彼の顔じゃなくなっていました。そして、目の前では、骨と灰になってしまっている。
私には、彼の元気で活発な笑顔の記憶しかなく、自分を呼ぶ声までも鮮明に記憶しています。

「命」、なんともあっけないものでしょう...

私の仕事は、生命保険の営業です。
2007年に入社して以来、約900人の方の保険をお預かりしてきました。
しかし、私のお客様では、まだ一人も亡くなられた方はいませんでした。
それが、こんな身近で、その「万が一」の出来事が起こってしまうとは...。
彼は、他社でしっかりした保険に加入していたので、私のお客さんではなかったのですが、
担当の方がすぐに動いてくれているという事でしたので安心しました。

昨日もお線香を立てに行って、そこに飾ってある写真は私が良く知るいつもの彼です。
その写真を見ていると、一番なんといっても、悔しくて、残念で、情けないのは、彼自身かもしれないと...。
でも、いつまでもそうもいってられません。
彼の魂はこの世から別れを告げて、成仏していってもらいたいですし、その為には家族や子供達がしっかり生きていけるように、私も含めて、周りの人達で支え合って生きていく事です。

彼の「命」でまた多くの事を学び、感じられました。
この世での時間の大切さ、家族との係わり、両親との係わり、自分と係わる多くの人達、その絆を今「命」ある内にいかに有意義に過ごすか、強く強く感じました。

みなさんにもシェアしたかったのは、彼が生前係わってきた、福祉やボランティアの精神のように、
「命」の大切さを実感し、今、自分自身に何ができるか、今、周りの人に何ができるかを考えていただきたかったのです。


長文となってしまいました。お許しください...。


「命」を大切に...
「家族」を大切に...
人との「絆」を大切に...

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